沿革

あばれ祭は、今から350年以上前の寛文年間(1661~1672年)に始まったとされています。当時、牛頭天王(ごずてんのう)に祈願したところ、地域で流行していた疫病が治まったことから、住民が感謝の意を込めてキリコを担ぎ、八坂神社へ奉納したのが祭りの始まりと伝えられています。現在では、巨大なキリコと、神輿を川や火の中に投げ入れる迫力ある神事で知られ、日本でも特に勇壮で活気あふれる海辺の祭りの一つとなっています。

キリコと神輿とは?

キリコ(キリコ)
キリコ(キリコ)キリコは、能登半島独特の巨大な灯籠です。木材や紙などで作られ、地域の人々が担ぎ、太鼓や笛、掛け声とともに町内を練り歩きます。

神輿(みこし)
神輿とは、祭りの際に神様が一時的に宿るとされる、持ち運び式の社です。多くの日本の祭りでは神輿を大切に扱いますが、あばれ祭ではその正反対ともいえる、荒々しい扱いが特徴です。

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【公式】あてら祭公式サイト | 石川県能登市宇出津

見どころ1:キリコの巡行

キリコ巡行では何が行われる?

夜の祭りは、壮麗なキリコの巡行から始まりました。大勢の人々の頭上にそびえ立つ巨大なキリコが、太鼓のリズミカルな音や竹笛の音、担ぎ手たちの威勢のよい掛け声に合わせて、ゆっくりと町中を進んでいきます。

見どころ2:神輿の荒々しい登場

神輿の「暴れ」が始まる

神輿が祭りの会場に入ると、「チョーサン!チョーサン!」という掛け声が響き渡り、観客も一気に盛り上がります。それまで整然としていた巡行は一転し、担ぎ手たちは神輿を回したり、持ち上げたり、激しく揺さぶったりしながら、地面や周囲の建物に神輿を激しくぶつけます。

多くの日本の祭りでは神輿を大切に扱いますが、あばれ祭ではその反対に、神輿を意図的に荒々しく扱うことが特徴です。これは神様への奉納の一つとされ、神様は力強さや勇気を示す行為を喜ぶと考えられています。

激しい動きの合間には、担ぎ手たちが息を整えるために神輿を一時的に休ませます。その間に神輿を修理したり、バランスを整えたり、さらには酒をかけて清めるなどの儀式も行われた後、再び巡行が始まります。

また、祭りを見ていて興味深かったのは、祭りの間、神輿を担いだり扱ったりすることができるのは男性のみとされていることです。

見どころ3:神輿・松明・水

神輿が水に入り、激しく扱われ、火の粉を浴びる

神輿はそのまま近くの川へと運び込まれ、担ぎ手たちは石垣に神輿を何度も激しくぶつけた後、腰ほどの深さまである水の中を神輿を転がすようにして進みました。神聖な神輿が意図的に川へ投げ込まれる光景は、神輿を大切に扱う祭りに馴染みのある私にとって、とても驚きであると同時に、目を離せない迫力がありました。

その後、祭りを象徴するもう一つの場面、大きな松明への点火が行われました。松明はアテ(ヒバ)の枝を束ねて作られた巨大なものです。近くにいると、燃えた葉が夜空を舞い、まるで光る火の粉のシャワーを浴びているように感じられました。

見どころ4:祭りのクライマックス

神社へ戻り、最高潮へ

大量のアテの枝が積み上げられ、大きな火の玉のような焚き火が作られると、激しく扱われてきた神輿がそのまま炎へ向かって運ばれていきました。担ぎ手たちは何度も火の周りを回りながら、神輿を持ち上げ、回転させ、地面に激しく打ちつけ、さらにその一部を激しい熱にさらして焦がしていきます。

儀式の途中では、神輿の一部が壊れそうになるたびに短い休憩を挟み、素早く修理を行ってから、再び炎の中へと向かっていきました。

祭りが終わる頃には、真新しかった神輿は水に浸され、火の粉を浴び、煙で黒くなり、一部は焼け焦げていました。それでも神輿は最後までその姿を保っていました。最後に神輿が炎の試練を耐え抜く姿は、日本でも類を見ないほど勇壮な祭りの締めくくりにふさわしい光景でした。

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